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dry river stringチャリティーデモCDRの行方
dry river string京都の和菓子を被災地に届けるデモCDR販売計画の事後報告。


今年9月にdry river stringのアルバム「Quiet」のリリースツアーを東京、名古屋、京都の三カ所で行いました。
アルバム自体は昨年末に発売されていましたが、諸処の事情でやっとのレコ初ツアーとなりました。
その間に3.11がありました。
ツアーが差し迫ったある日、干川さんがいきなり「CD-Rでデモ音源だそか」と言い出し、そしてその売り上げを全額何かの形で被災地に届けることができないか。
考えている間もなく、ツアーは始まりましたが、MCで「売り上げは金谷の実家の和菓子を送ります」と発表し、そして、合計90枚分の寄付金が集まりました。


音源は、アルバムに収録されなかったもののプリプロされていた曲や、まだバンド名も決まっていない時に宅録していた曲、私がアイフォンで録音したギターネタそのまま(笑)などなどを盛りだくさん。それを白い盤面のCDRでライブ当日の朝に干川さんがパソコンで一枚づつ焼いただけのものです。
1枚500円で90名の方の寄付金。
中には友達の分もと数枚買ってくれる人も。


これをどう被災地に届けるか。
できれば、こんな個人のやっていること、行政や団体に頼らずに個人同士で届かないか考えた結果、現地で協力してくれる人を探し、仮設住宅や避難所で生活を余儀なくされているご年配の方に届けてもらいたいと考え、ボランティアプラットフォームと言う、本来は個人間の物資のやり取りをとりつなぐサイトにて募集させて頂いたところ、協力してくださる方が見つかり、11カ所、約50世帯に行き渡ることができました。
「救援物資もいいけど、そろそろおいしいもんとか食べたい時期やろ」とゆう発想ははたして受け入れられるのかと、そんなん送るぐらいなら水やストーブやもっと欲しいものは沢山あったかもしれません。そういった不安や心配はありましたが、結果、協力してくださった現地の方からは、みなさん喜んで頂いているとご報告いただきました。




とゆうわけで、今回、色々な体験をさせて頂きました。顔も見たことない被災地の方々と個人として協力できたことはとても嬉しく思いました。うれしいと思うのも変な話ですが。
といっても、私は連絡係をしただけで、沢山の方のご協力の元、このプロジェクトが完了いたしました。
まず、「Quiet」をリリースして頂き、リリースツアーを企画していただいたcontrarede。普通、バンドはレコ初ライブとかしてCDを売ったりするものだと思いますが、なんせリリースから9ヶ月開いてますから。そしてしかもCDRを売ってるし、どうゆうことやねんって所ですが、いつだって僕らがやりたいって言ったことをかなえて頂いています。
名古屋偏を仕切ってくれたroom501。レコーディングしている時から山梨までカレーを作りに来てくれたり(笑)していましたが、企画までして頂きました。
京都はyour unknown music。anteroomとゆうおしゃれなホテルのレストランを借りてのライブを実現させていただきました。
競演していただいた東京gustave coquiot
名古屋のroom501とyok
京都はたゆたう先輩と筆谷さん照明チームとPAオギノ

本当にご協力いただいた方々ありがとうございました。
下の記事でどのようなモノを送ったのか、また、被災地から届いたメッセージ等紹介させていただきます。
なんかしたいけどどうしたら届くんやろう?って思っている方、参考にしていただければ幸いです。


決算
寄付金500円×90枚で45000円。
(制作費CDR代金は干川より。紙ジャケ、シール等は金谷より)

送ったお菓子がひと袋840円。
11箇所56個
56個×840円で47040円
差額2040円と10箇所分の送料(クロネコヤマトで後日請求なので、正確にはわかりませんが8000円ぐらい)を株式会社 金谷正廣が負担




# by watarukanaya | 2011-11-29 21:36
被災地からのメッセージのご紹介
お子さんも
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こちらのおばあちゃん、手術されて寝たきりで避難生活を送られているそうです。
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こちら副島からばらばらに避難されてらっしゃる方のお集まりのお茶菓子に。
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仮住まいのマンションに避難されている皆様。
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こちら、仮設住宅に入居されている方がたに手渡ししていただきました。
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仏壇も流され、ご先祖をお祭りすることもできないそうで、このようにされているそうです。
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こちら災害対策本部に。そこには被災された方々が集まられるそうです。
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等等。

最後にいただいたメッセージを一つ紹介させていただきます。
今回、せっかく個人同士でこういった形が実現できましたので、簡単な自己紹介をしていました。
dry river stringというバンドの事。
寄付金が集まった事。
僕が働いている金谷正廣の事などなど。
もちろん、皆さんが写真を送ってくれたわけではないんです。だけども、そうやってくれる気持ちが嬉しかったので、是非寄付してくださった皆様も読んでみて欲しいと思います。



おはようございます。
宮城県七ヶ浜町の〇〇と申します。
先日は金谷さまをはじめみなさんにいただいた和菓子をありがたくいただきました。
七ヶ浜町の友達、浸水した実家と隣の家の助け合っておせわになっているおばあちゃんとうちでいただきました。おいしかったです、ごちそうさまでした!

写メはうちの次男がお菓子を持って喜んでいたのを取りました、六月に三才になりました、震災の3月にはまだ二歳だったのですが水をもらうために四時間も一緒に並んでくれました、食べるものをなにも持たずに並んでいたので道に落ちていた飴を食べたいと泣いたのは忘れられません。それをみたおばあさんがかりんとうをくれたのもわすれません。
友人は車のまま流されたけど偶然車のガラスが割れて子供二人を連れて冷たい水の中を手を離さないで泳いで帰ってこれました。あの日いろんな体験をしたひとがたくさんいます。
わたしは27歳ですが人生で一番大変な年でしたが人生で一番人に感謝をした年になりました。人はみんな暖かいです。

うちは自営で三年前に独立して大工をしています、道具も作業場も全て流されなくなりました、たくさんのひとが助けてくれました、わたしも頑張ります!
本当にありがとうございました!

まったく知らん人です。多分もう二度と連絡を取らない人同士です。だけど、僕はテレビでどんなに報道されている被災地の現状よりも、ボランティアに行ってきた友達の話よりも、現実味を帯びて心に響きました。


# by watarukanaya | 2011-11-29 20:02
dry riverデモCDRからの金谷的お菓子の送り方。

さて、今回、寄付金をどっかにどかっと贈るわけでもなく、一つ一つ手作りで作っているお菓子を一つ一つ包装し、ひとりひとりに送り、その方からまた、支援物資などがあまり配られない、仮設住宅や避難所の方に配っていただくとゆうかなり個人を意識した企画となりました。
当初、干川さんがパンおくろうかとゆっていたんですが、京都のお菓子とかのほうがじいちゃんばあちゃん喜ぶんちゃうかーとゆうことでそうさせていただきました。
で、真盛豆とゆううちで作っている商品を選んだんですが、
まず、日持ちが2週間あること。
そして、遡ると天台真盛宗の開祖である真盛上人が、修行をしている僧のためにお作りになられた非常食のようなモノをもとにしていお菓子なので、こちらを選ばさせていただきました。

で、支援物資を個人同士でやりとりするのを助けてくれるサイトがいくつかあったんですが、ボランティアプラットフォームと言うところを利用しました。
こちらは、個人でいらなくなったモノ’(ストーブとか、、)をヤフオクだすのもなんやし欲しい人いるならあげるわーといったノリの所。
たしかに、本当に必要なものはお水とか食糧かもしれません。でも、ここで、大好きだったウルフルズのCDなんか全部流されましたみたいな人に全国各地のファンの方から、これダブっているので送ります!とかそういったやり取りがされていていたんです。
ほかのサイトだと、そうゆうモノを欲しがると義援金が届いているはずでコンビニもスーパーもブックオフもあいているんだから自分で買え、そうゆうわがままをゆう人がいるから、、、みたいな議論とかになっちゃっていてちょっと雰囲気が怖かったとゆうのもあります。
正論より気持ちを大事にしたかったんです。多分。
こうみえて、ホンマに二週間ぐらい(悩みすぎ)どういった形で人から人の気持ちを橋渡しできるか、どうやったら一番いいかってずーっと考えての結論です。


dry riverデモCDRからの金谷的お菓子の送り方。_c0180320_2050416.jpg
こうゆうお菓子を昼間作る。ちなみに、こちら作るのが難しので私は指一本ふれさせてもらえないんですけどね。。。

一個一個包装し(物資とゆうより、プレゼントが来たと思って欲しかったの)
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それを一回目7箇所に(配って下さる箇所におおじてそれぞれ違う個数を送っています)
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クロネコヤマトに託す。
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二回目はお茶会で使われる二箇所と仮設住宅一箇所
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クロネコヤマトに託す。
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とゆうわけでした。
クロネコはご存知の通り、企業として最高額になるんじゃないだろうかといわれている一個につき10円を被災地に寄付(しかも税金でもっていかれないよう交渉済み!)されていますので、普段からうちの会社は使っております。

さて、協力者を探して10人以上の方と連絡をとり、個別にメモして実際に商品を用意して発送するのは、確実に普段地方発送しているのより大変でした。まあややこしいややこしい。
そのため、実際その時間あったらその分バイトでもして、寄付しろや!ってぐらい時間かかりましたけど、なんだかまあ、かけがえの無い体験したことのない時間になりました。

いきなり思いついた干川さん、それをいきなり言われて対応してくれるコントラリードや各会場にいらした関係者の方、東京で店でがんがんかけます!といっておられた方、CDRやねんから焼けばいいのに友達の分もと数枚買ってくれた方、その他、ドライリバーのCDRってゆうのがどれぐらい影響してるのかわからないですけどもこのような、お菓子贈るみたいな企画に賛同し500円身銭を切ってくれた方々、てゆうか、何をするのも遅すぎるバンドに付き合っていただいています皆様、(この企画もなんやかんやゆうて三箇月かかっている!)。
ありがとうございました。重くのしかかる90名のプレッシャーを背負い(笑)しっかり届かせられたんじゃないかと思います。効率は悪くとも!!!

最後に、もし、こういった形でなにかしたいけどもしっくり来ていなかった方とか、こんなん喜んでくれるやろか?と思うことのある方々へ。
バンドしてる人が実際に何度も物資を運び、現地に資材をもっていって手作りのモノを作ってもらって、それを買い取って各地に売るといったプロジェクトを北海道のスラングというバンドがされています。また、身近なところでも缶詰やレトルト食品を現物募集して現地に持っていくプロジェクトをし、実際の街の光景をツイッター等にアップされている方がたも京都でおられます。
そのほかもlainy j grooveで今度出るんですが、3.11のチャリティーイベントも京都で行われますし
、東京でもバルーンズがでっかい規模のイベントをやっているのがネット上で見ることが出来ます。
そういった情報を知ることも出来るし、参加することもできるし、僕らみたいに適当な思いつきを実行に移すことも可能やねんでと。
俺みたいなもんでも、なんかできたんやでと、思います。air jam開けるわけでもないけど、日本を元気にとか被災地のタメに!とかじゃなく自分のタメ、自分の何かを納得させるタメかもしれませんが行動をしてよかったなー楽しかったなーと思っています。沢山の方々のご支援のおかげです。思い出すだけで涙がでそうな事沢山あります。
最後に、夜遅くなるとブーブーゆってくれる人が僕にはいますが今回の軒で夜中まで作業していようが、おっけーがんばれーと言ってくれて嬉しかったね。

参考URL
ボランティアプラットフォーム
http://b.volunteer-platform.org/

株式会社 金谷正廣
http://shinseimame.com/whats.html

# by watarukanaya | 2011-11-29 20:01
10月

先月の台湾ライブの衝撃とゆうか、たった三日間だけやったものの、帰ってきたらモノっすごく和食が食いたくなり、ホッケのひらきとかぼちゃの味噌汁みたいな食事をとり続けてたら太った。
あと、大阪にプレフューズみにいったり、磔磔にラマみにいったりしできて幸せだった。アレルギーが辛い時期です。

9/25
神戸にてレイニーライブ。初めて、台湾に持っていくように作ったアイテムを使ってみるが、音は最悪だった。スタジオではいい感じやったのに。
k-106主催のイベント。JRで行くと早いとゆうことに気づき、早く着く。ただ、終電までいると、京都駅においてあるバイクが出せなくなるとゆう自体で早く帰らないとダメとゆう、ジレンマ。
ここ、前来たときわからなかったが、置いてあるキャビがフェンダーのふるそうな奴で、めっちゃでかいんだけども、ベースマンではなさそうな、いいやつで、びっくりするほどかっこいい音がなった。
ただ、絶対に家にもって帰りたくはないサイズだったので、おんなじの探すみたいなアホな事はしない。
あと、台湾でしりあった友達が帰国して、たまたま大阪にいたそうでみに来てくれた。帰り、駅まで一緒に歩くとき、これからどうするか、いろいろ話が聞けた。
それにしても、こっちで見ている限り、まじで関東にげなやばいみたいなノリなんですが、そんなに人居なくなっている話も聞かないし、どうなんだろう。
なんか、十年ぐらいたって、また裁判とかなって、うやむやになるんやろうとか、日本が半分ぐらいになる夢みたりする。

9/29
大阪でレイニーライブ。
ジャングルが台湾ではまったトーロンポーを出していた。
なんか、懐かしい味とも思う。が、やけにお肉柔くて、現地の屋台よりは絶対にうまいと思った。
飲み放題だったらしくて、酒臭かった。ゆかびちゃびちゃやし。
あと、台湾で世話してくれた張本人が帰国していて、遊びにきてくれた。なんか、現実味がなかった。

10/1
レイニーみっか連続ライブ。
初日。
京都メトロ。
台湾以降、スタジオも入ってないんで、その場で修正的ツアーバンドのり。
ロンドンコーリングとゆうイベントやったんですが、これは、イベントスタッフとか、djがほんまにおもろいことやって、お客さんよんで、楽しもうってゆう、純粋なピュアなイベントなんですよ。
だから、かかってる曲もほんまにめちゃくちゃといえばめちゃくちゃ(レイニー終わり一発目の曲、ブライアンセッツァーって!)でも、なんか、そうゆうのが本来クラブのあるべき姿ともふとおもう。
なんか、こう、ねえ。主題がはっきりしいていいじゃない。
結局、ライブ終わって1時間以上上のカフェでしゃべっていたけども、なんかお祭り感満載やったし。楽しかった。

10/2
大阪のロケッツ。この日もJR。
で、みすったことにイベント主催者のばきりのすがタイムテーブル的にみれないとゆうことに後から気づいて、まあ、そこだけはほんまに残念。
ロケッツもメトロもやっぱやりやすいわー慣れてるわーと思う。

10/3
で、三日目。
京都アンデパンダン。
こちら、カフェですが、広いので180人来ていたらしい。しかも、アパレルかカフェのスタッフが集合していたらいい。どうも、こんばんわ和菓子屋ですと。
いやーやっぱり、オシャレっぽいってのはかっこ悪いが、自分の思うオシャレをやってる人たちはいいなーとおもう。私もめっちゃかっこいい和菓子屋にしていこうと気持ち新たに思いましたね。
ライブはステージ狭すぎで完全に私の居場所がなく、阿鼻叫喚のなか、ふくちゃんのパッドとはまだのぱーかっしょんの間にしゃがんでいるのが、一番安全やなーと思いながらライブした。エフェクターなどもみくちゃにされて音がでなくなったが、まったくもって、つなぎ直すのは不可能やろなとおもって、アンプチョクで乗り切った。昔、イーストでフロア血まみれ中止ライブとかの時いらいの事。こういった経験値をつんで、人は大きくなっていく。せめてもう少し安全な所でギターが弾きたい。
あと、最後はみんなが乱入みたいな企画だったんだけども、ジズーのギターの人とかよかったなー
普通の所でもやってみたい
あと、オシャレしてみたい。


# by watarukanaya | 2011-10-04 17:22
taiwan後半

ライブ会場に到着。別にフェスではない。日常である。
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日常であるが、今日は外でやるベー的なのりでステージをセット。
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看板。
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別にフェスではないが、手作り市みたいなんが出ている。
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ライブはリハ終わったら、ほな十分後ぐらいに本番始めましょかみたいな。いきなりのノリ。
地本のバンドも出てくれたが、どうやら、半分以上喋りながらやるのが、南国風。
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夜の八時にはイベント終了。週末だけ開催されているお祭り的な夜市。台北にあるのは、みんながご飯を食べに行く所。こちらは遊びに行くところ的なものらしい。
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食べ物は基本的に調理されているが、これとこれーとゆうと、もう一度油に突っ込んでくれるので、死なないと思う。
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三日目
朝5時起きでまたもや、電車で六時間。駅弁。まずい。
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台北から空港まで、一人で迷うので、タクシーに乗る。英語も全く分かってもらえない。
ただ、この風車の写真をとっていたら、「台湾はパワーがある。日本もパワーあるから、頑張れ!」みたいな事を言われて泣きそうになる。台湾は一番募金をしてくれているそう。そんな中、10万ぐらい使って遊びに行ってごめんとおもう。ほんまにええ人たち。
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最後のご飯。空港のちょっと高い店でラーメン。おにうま。半分ぐらいお肉。
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最後、台湾ではあんなにみんな優しかったのに。
関空の検疫でしらずにかった持ち込めないビーフジャーキーなどを自主提出してあやまる。
廃棄処分されるらしい。
にもかかわらず、そのあとの審査で一人居残りでなにしてきたんですか?とか聞かれる。
そんなに怪しいのか。そうか。同じ日本人なのに。何しに行ってきたとか言われても、なんで生きてるんですかみたいな哲学じゃなですか。そんな知らないにーちゃんに生きてる意味を説明するんかい。
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とゆうわけで、疲れました。ほんまに、人生でいちばんつかれた。肉体的に。
京都駅に帰ってきて、タクシー乗り場前でヘタリ込みました。
今度は普通に台北にライブしに行きたいわ。













# by watarukanaya | 2011-09-21 00:41