2015年
どうも久しぶりになにか発信するのだなということがありまして、久しぶりにブログを更新します。

 2014年の春、ずっとやっていたバンドをやめて、一体どうゆうふうに生活が変わるかなとおもってたんですけども、秋までは特に変化もありませんでした。

 日中は和菓子屋をして夜は印刷屋というダブルワークをそのまま続けていたんですが、あっさり派遣切りになり、数年ぶりにアフターファイブ的な自由な時間ができました。

 そのかわりに、金銭的には生活は大分苦しくなったのですが、まあ、ツアーとかライブがないので、普段の生活でさほど使うこともありません。
 
 このさい、音楽のためだ!と思ってお金や時間をつぎ込む事をあきらめていたジャンルに挑戦しようと思って、ロードバイクを買いました。かっこいいチャリを買うぐらいだったら機材かうでしょ!的な発想で生きてきたので、それは大きな買い物でした。バンドも趣味みたいなもんですが、CD売ったりギャラもらってライブすると、純粋に無駄なお金というよりも、自分への投資的な側面があるので、10万円のギターを買うことは金銭的にはきつくてもやっぱり買いやすいのですが、チャリに10万とか、もう、ほんとに純粋に無駄なお金じゃないですか。

 それで秋から遊びまくって、春になったらびわ湖一周しようという夢を抱いていたのです。
が、春になって、いざ挑戦してみると、彦根あたりで膝が痛くなりだして、「精神が肉体を凌駕する瞬間が来る」とおもって走りつづけていたら「もう動けません」状態になりギブアップし、友達に車で迎えに来てもらうというなさけない結末。

 そこから、姿勢の見直し、ポジションのチェック、減量、筋トレ、500グラム軽いホイールを2万円だして買う、等など思いつく限りの投資をし、結果7月末に無事に一周できました。
 びわ湖一周というと、「中学生の時にいったわ」とかよくいわれるぐらいの事なんですが、ギターより重いもの持たずに30代を迎えていた身体にはなかなか達成感のあるチャレンジでした。

 で、夏になって、今年の目標を早くも達成してしまった私は燃え尽きていたんですが、なぜかマイ彼女である萌ちゃんのダンス公演の音楽をつくる事になりました。

~回想~
 大学の4回生の頃、ハードコアバンドでヘルプでギターを弾いてたんですが、刺青だらけの人たちのなかで、真面目な私は考えていました。なんでこんなよく聞こえないような爆音でフロア血まみれみたいな感じなのに見に行ってたら楽しくてテンションあがるのか。
さらに、「なんで音楽で人は踊るのか?」
と。
音符的なリズムがどう効果的等を研究するとと同時に、テンションが上がることは、、、とか芸大生の23歳にありがちな事を考えて過ごしていた時に、たまたま見に行った舞台が「岩下徹」さんのクラス発表公演で俗に言う広範囲の意味でのコンテンポラリーダンスにふれた瞬間で、無音で踊り狂う人たちを見て衝撃を受けました。
「なんでやねん」
と思いますよね。
こっちはバンドとかやって、なんかいろいろ考えて音楽とか作ってるのに、
へー無音で踊るんだ、あっそうなんだ。
 みたいな。
 
 その後、大学にあった子供芸術大学というところで、ドラムに合わせて踊ってみようみたいな企画を手伝ったり、次の年の「岩下クラス」の授業発表公演で演奏させてもらったり、校内で定期的に行われていたインプロの回という謎の集会(月に一回、ちっちゃいメモに場所と時間が掲示板に張り出されていて知らない人同士が好き勝手に好きな事をする)に情熱を燃やしたり、結果、それで卒業論文を書いて無事、大学も卒業させてもらいました。
 卒論のタイトルは「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!は本当に損かどうかについての考察」だったんですが、タイトルだけ変えたらオッケーといわれました。ゆるい大学じゃった。
 ~回想終わり~

 卒業してからは萌ちゃんの舞台のお手伝いで、舞台上で生演奏で仮面をかぶって鉄琴をたたいたり、言われた通りのSE的なものを作ったりは軽くはしていました。
 なんせバンドマンだったからね。

で、今回も「九月に公演あるから音作る?」といわれ、そんな感じかなーと安請け合いしていました。

 ところがどっこい、いざ制作期間が始まってみると、八月の初めから最近までほぼずーーーっとかかりっきりでした。

 こんな曲どうですか?というデモをつくって、オッケーもらったものから順に録音し、ミックスし、地元のハードオフとヤフオクを巡回して機材を集めるという発案からアウトプットまで全部一人という孤高の作業。
 舞台には普通、音響さんというスタッフが必要で、その役目はSEを作ったり、演出にあう音を探してきたり、音を作ったり、音響機材の仕込みから当日のオペレートまでいろいろなんですが、大学の舞台芸術学科、専門学校等で専門技術を学んだ人がする事です。
 でも、まあ、できるやろ
と思って、「できるできるー」といってみたものの、ほぼなにもない舞台空間にスピーカー仕込んで、、、とかするのは、ライブハウスやったら普通一回しかしないことを、毎回、一回ばらしてやってるのですよ、劇場って!

 さすがに今回は天井のスピーカーだけは吊ってPA席まで配線してある状態ですが、そのほか照明機材等はまったくなく、全部、一回の舞台の為にライトを仕込むのです。
 そういった「くそめんどくさい舞台あるある」を一切知らずについに明日、仕込みの日がやってきます。
 九月に入ってからは、音の状態を見るために、京都芸術センターという四条烏丸にある稽古場に出向き、通し稽古といわれるリハーサルを何度も確認ししていました。

 いままで見に行ったことしかなかったのですが、出演者と舞台監督、制作さん、音響さん(今回は本番のオペレートは、私、仕事でいけないので、ちゃんとした人に頼んでいまして)、照明さん、宣伝美術さん、、、、、とものすごい数の人が関わっています。

 とりとめがなく、なんの話かわからなくなってきたので、このへんにしときますが、まだまだ、知らない世界があるんだなーと思うと同時に、こんな時間を費やして好きな事だけする暇がある生活は普通の30代にはないのちゃうかと思うしだいです。

よかったら舞台見に来て下さい。
9/25-27です。
http://www.hmdance.net/
26日と27日の夜の回は私も見に行きます。


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# by watarukanaya | 2015-09-23 02:33
top news
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○public on the mountain○https://twitter.com/KanayaWataru
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# by watarukanaya | 2014-12-08 05:02
私と lainy j groove
2014/3/30二条のライブハウスnanoにてナノの10周年イベントに出演しました。
10年続くとゆうのはすごいなーと改めて思いましたが、実はlainy j grooveも10年ぐらい(いつ始めたか誰もちゃんと良く分かってない)経ちます。
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2003年頃初練習京都産業大学の部室、メンバーそろっての練習は南インター近くのサッシュというバイク屋。初ライブ浜田がバイトだったので、私がベース。しかも全日空ホテル鳳凰の間がデビューライブ。
2005年頃
当時バイトしていたネガポジというライブハウスに出演し始める。
これまたバイトしていたスタジオスーで始めてのレコーディング。カバーデザイン、からきっちゃん。
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自主制作。当時めっちゃしょうむないギターしかもってなかったからmoonのストラトを友達からか借りて、スーのsスタジオにあったトランジスタのマーシャルで録音。ストリングチーズインシデントみたいになりたかった
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中と外のデザインの温度差がすごいのは中だけ私が趣味で作ったからだ

2006年頃
ヒッピーブーム(マイブーム)到来でライブ版を制作(ライブ日付は2006/4/9)
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当時のイベントに出演していたのはシゼンカイノオキテ、紺風少年、大阪からI.Q.O
ネガポジにてライブ録音。ミックスはシライリゾートの白井君。

これいつ出した何か覚えていないがおまけでシールとかつくった
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今でもデザインは一番すき

2006年ごろからレコーディングして自主で出したgoogolplex trax
ネガポジで吉岡くん(llama)にレコーディングしてもらった。浜田が強引にミックス。
セッションがそのまま入っていたりするがリバーブユニットのはいったマーシャルのヘッドにパンチするなどの尖り方が若さ故。こんなかっこいいタンバリン聞いた事無いという音が入っている名盤。

2007
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ハナマウイレコードから再発し、西院tutayaでインストアなど初体験。
その後、どんどんくらい音楽になっていき、私はほぼギター弾かないでタッピング、鉄琴とミキサーでドラムにディレイかけたりする暗黒時代が到来。一定の評価を受けるがメンバーの陽気な性格が裏目にでて、純粋に暗くできない。
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渡辺さんに立体で作れといわれ、試行錯誤の末がんばって作った立体ポスターをいろんなところに貼りにいったがウーピーのステージ脇にずっとあって恥ずかしい思いをする。多分店員さんもはがしにくかったのだろう。ちなみにデザインがくらすぎてくらいライブハウスでは全然意味が分からないと不評でした。
2010年
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四曲入りこのへんからまた元気の良いライブをやるモードにしたような気がする。
フェスとかにも出させていただいた。(後ろにハイスタの難波さんがいます。ある種一番の思い出)
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夏フェス使用の叩く用(かつおバージョン)ナビゲーターギター
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仕事も始めた頃で普段の生活の鬱憤をこういう形で晴らしていたのだろう。


2013年舞音楽祭



2014年みなさんご存知




 そして、2014/4月のレコ発ツアーを持ちまして私、金谷亘は卒業させていただくこととなりました。
 昨年の4月に「もういやだー」といい始め、「五月病やわ」とさんざんいわれ、とりあえず年末までやりましょうとなり、しらぬ間にCDも発売され、レコ発までといっていたら4月になってしまいました。

 ので、上の舞音楽祭の時とかもうこれが最後の御勤め、みたいなへんなテンション(私だけ)です。最後かもしれんからと前日の夜中に奈良までムスタングをとりに行ったりした。
 その後も2013年夏に市役所前で選挙フェスに出場、野外に持ち出して愛用のベースマンアンプもこわれました。
 

 4月でやめるんだーという話は会った方にはしていたんで、なんでやめる?と聞いていただきましたが、なんともよく説明できない。
 人魚姫でいうと、陸に上がろうとする心境。ストーリーの結末は覚えてないけれども、ただ、今は、陸に上がるべきとの判断です。

 自分でもなにいっているのか分からなすぎてふくちゃんには「普通もうちょっとうまい事辞められるで、、、」とあきれられましたし、話し合いの席に「脱退」と書いたでっかい紙もっていったら渡辺さんにめっちゃ怒られたし。
 みんな長年のお付き合いすぎて甘いから、自分を律せず責任を持たずに甘えすぎてきた結果だと思います。
(lainyはしってるけど、金谷はしゃべった事無いというような方は、この感じからこのコミュニケーション能力の欠如感をお察しいただけましたら幸いでございます。)

 せっかくかっこいいのにもったいないとか、なかなか続けられるもんじゃないからもったいないといろいろお言葉を頂戴したりしました。
 練習の度、新しい曲の構想をねって、エレキギターを担いでスタジオにいくとドラムとかベースとかでっかいアンプがあってでっかい音ならして遊べる夢のようなスペースのはず。それがつまらなくなったら続ける意味は無いと、どうかんがえても悲しい。

 lainy j grooは今後どうするの?ともよくお聞きいただきましたが、「えーどうすんの、どうすんのー?」と立場上聞きにくいので、みなさんとご一緒に期待して見守ります。
 
 私個人はこの後どうするの?ともお聞きいただきますが、lainyから金谷は消えますが、lainyだったという事実は一生消えないとおもってます。ついでに過去やっていたバンドや参加していた物全てにわたってex.的におもって生きています。
そういう観念的なことじゃなくてバンドとかやるの?という問いに関しては、まったくもってなーんも考えてないのでなんともいえません。少なくともこんなバンドやりたいから辞めるという事では無いです。
 もし、こころのどこかでいい感じに私のギターを電波的に受け取って下さっている方がいて、もう聞けないのは残念だね!と思って下さる方がいらっしゃった、それは残念ですが、そこを感じとって下さるならば、たとえ何をしていて姿勢は部分は同じだから!何事にも真摯に心を込めて丁寧に!

 最後のライブやし見に来てね♡という感じでもないんですが、あとはもう「人を尊敬して音楽を尊敬してそしてそれが自分に帰ってくる」という言葉を胸に感謝と恩返しのつもりでやりますので、よかったら来て下さいコーラおごります。
4/6東京、4/13京都、4/16福岡、4/20大阪です。(ツアー事態には長野が含まれておりますが、普通に有給が足りなくて行けませんでした。)

 アイラブ
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# by watarukanaya | 2014-03-31 23:57
4万再生
ツイッターで有名なモデルの方がツイートしてくれたおかげでいきなり4万再生されましたけども、仮面被っているので絶対にバレないですね。

あと、実家の通販ページ作りました。
美味しい和菓子
2013年もいろいろありました。
もう31歳です。
定年まで走り抜けよう。

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# by watarukanaya | 2013-12-25 14:08
2012

バンド初めてまあ10年ぐらいになります。
世間の方から見たら、まあ、別にたいした事じゃないかもしれませんが、なんにせよ一個の事を10年もやっているとまあベテランの粋じゃなですか。
選手でも職人でも。
ペースとゆうか、ある程度の管理が出来るようになるものでしょう。
交通事故に会ったり、思いっきり熱でたり、過去にもいろいろありましたよ。
音おっきいからやめろっていわれたり、時間がきたからやめろっていわれたり、音おっきいからちっさくしろっていわれたり、ほんま、一度決めて大人が、我々をここに呼んだからには!いい加減な事を途中で言われるほど、適当な事やってへんぞと涙し、、、、歩んで来たんですよ。ええ。

で、今回、初めて、発熱しすぎて起き上がれませんすいませんどうにかしてくださいと電話しました。

とゆうわけで年明け一発目のライブ、西院サクラコ祭りを無事に乗り切り軽い悪寒を覚えながら帰ったんですが、朝起きたら体が震えて止まらない。仕事休む(これも、こうゆう所で突っ込まれるのが凄い嫌なので意地でも遅刻とか欠勤とかないようにしてやろうと思うタイプの人なんで、初めての事。。)昼まで寝てみたら熱が38℃越え。ふくちゃんに教えてもらった休日専用駆け込み病院に行くがこのへんほとんど記憶なしで帰って来て電話して結局とばしてしまったんですわ。

いろいろご迷惑かけたみなさま、ごめんなさい。


で、次の日峠をこしてツイッターみてみたら、なんとやまもっさんがギター弾いてくれていたとゆう。ほんでまた、ゆうじくんが参加とゆう。
そうゆうハプニングを豪華キャストで支えてくれはるようなキャストが周りにいてホンマに泣きそうになりました。いや、ほんまにやっててよかったと思った。バンドやっててよかったと思った。

ほんで、私も、半年ぐらい前から京都くんの楽しみにしていたバンドがいきなりキャンセルなっておいーってがっかりになったりとかした事あるけども、一人ぐらい抜けてもどかーっんとやって帰って行くバンドってめっちゃかっこいいやん?(脱落してる人がゆうのもなんですが、、、)

だから、今年もあと20回ぐらいはライブがあると思うんです。
今月末はミューズホールでレイニ−とドライリバーダブルヘッダー(個人的には大事件なんですよ。学園祭かっってゆう、、、)があるし、三月は大震災のチャリティーイベント、五月にはデカイお祭りも待ってるし、ほんまにいっこいっこのライブ、無駄にせんと気合いいれて望もうと思います。

とんだ出だしですが、今年もよろしくおねがいします。
今年の抱負は健康です。

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# by watarukanaya | 2012-01-10 23:37